自分以外の女性とお付き合いがあったと知り、好きな気持ちを持て余し、悲しみに打ちひしがれていた私に、なぜか明るく「やり直そう♪」という彼からの電話。

悪びれる様子もなく。

ヤツだとわかった瞬間に、勢いよく受話器を置いてやればいいのだが、「もうこのような完璧な人とはもう二度と出会えないだろう」という【無価値感】が邪魔をする。

まぁ、その当時は単純に『好き』という認識しかなかったのだが。





こういう時私たちがよくするのは、こんなにも私を酷く扱った相手を「アイツは最悪な奴だ!」と「嫌い」になろうと努力することです。

けれど、一度「好き」を感じた人を「嫌い」になるのは至難の業で、たとえ「嫌い」と思えたとしても、 “がんばって” 「嫌い」になった彼の事が頭の中でぐるぐる回る。

憎たらしい彼の事が頭の中に浮かんできては、イライラモヤモヤ。



あの恋愛初期のウキウキワクワクがイライラモヤモヤに変わっただけなのですが、感じる感情が負の感情なのでかなりのストレスで心は疲れ、消耗してゆきます。

こういう時は、悲しくて悔しいけれど「あ~、嫌いになりたいほど“好き”なんだなぁ」と自分の中の「好き」を認めてあげましょう。

悲しみや悔しさも感じますが、その感情をも受け容れて感じ尽くすと「好き」もいつの間にか燃え尽きてゆきます。



ちょっとここで、みなさんに質問です。

「好き()」 の反対ってなんだと思いますか?

「好き()の反対は嫌い(憎い)でしょ」 と思った方も多いのではないかと思います。

国語の問題だと 「嫌い(憎い)」 で正解なのですが、心理学的には 「無関心」 が正解です。

マザーテレサは 「好き()の反対は嫌い(憎しみ)、ではなく無関心」 と言ったそうですが、その言葉を知った時、私は「本当にそうだな」と思いました。



「好き」「嫌い」は表裏一体で、なんらかの “感情” を伴いますが、「無関心」は感情を伴いません。

「好き」「嫌い」は良くも悪くも、心のエネルギーを使いますが「無関心」は、そもそも「関心」がないので、心のエネルギーを使うことが無いのですね。

そういう意味では 「好き()」の反対は「無関心」 になります。





この時の私の場合は、彼を嫌いになろうと努力する発想すらなく、「好き」と言う気持ちが大きすぎた。

悲しみや悔しさを感じ尽くす間も無かった。

お相手の女性も「最近はほとんど会っておらず、もう別れます」と言っていたし、彼からも話を聞くと「ほぼ、自然消滅の状態だった」とのこと。

辻褄は合っている。

なによりも「好き」なのだし、この気持ちを誤魔化すことは出来ない。

「好き」の大勝利。



けれど、ここから先はあのロマンスの時代の様にウキウキワクワク「好き」の気持ちだけでは済まず、ドロドロとした感情も渦巻いてゆくのであった。。。