『あなたの欲しいものはなんですか?』


すぐに答えが浮かんだでしょうか?


子供の頃の私たちは欲しいものだらけです。

・おもちゃ

・大好物のご飯

・おやつ

・遊ぶ時間

・キャラクターのカード

・お人形

・お母さんからの愛情

・お父さんからの愛情

それはそれはパワフルに、ストレートに欲求をぶつけてくれます



けれど、子供の頃のそんな欲求は、もちろん全て叶えられたわけではありません。

親にも都合というものがあるし考え方、方針によって私たちが諦めざるを得なかったこともたくさんあります。


思春期以降では親の影響だけでなく、学校での友達、彼氏や彼女との関わりの中で、なにかを望むことに自己嫌悪や罪悪感、無価値感を感じて、ストレートに欲求を出せなくなってきます。


子供の頃は自由に、なんの気兼ねも無く無邪気に

・あれが欲しい

・これがしたい

・あそこへ行きたい

・ああなりたい

・あれが聞きたい

・それが見たい

と、全身を使って表現していたのですが、成長過程において制限や観念を抱いてゆくようになるんです。


自分の願ったことが全て叶えられるわけではないのだ、ということに幾度となく直面しながら

「~してはイケナイ」

「女()だから、こんなことを望むのは間違っているだろう」

「~するべき」

「どーせ、望んでも無駄だし」

という風に、欲求を持つこと自体を放棄したり禁止してゆきます。


そして、この禁止や制限、観念や諦めを使って放棄していることって、普段なかなか自分では気付けません。

それは、あなたの中でその状態が “当たり前” になっているからなんですね。



「テスト前なので、遊んではイケナイ」

「女だから役職には就けない」

「母として、子供のためには毎日お弁当を作らねばならない」

「パートナーとの関係なんてこんなものだろう」


これらの下には “欲求” があります。


「遊びに行きたい!」 という “欲求” が前提にあるから 「遊んではイケナイ」 と禁止する必要があります。

「女」 を使って 「部長職に就きたい」 という “欲求” に制限を掛けます。

「たまにはお弁当作りをさぼりたい」 という “欲求” があるので、わざわざ 「~しなければならない」 という観念で自分を律しなければなりません。

「パートナーと、心身共にもっと繋がりたい」 という “欲求” を、これまで上手くいかなかったことによって諦め、放棄してしまいます。




あなたが禁止や制限、観念や諦めを使って縛りをかけている欲求があるとしたら、それはどんなことでしょう。



タイトルの 『元始、女性は実に太陽であった』 という言葉は ‘平塚らいてう‘ の言葉ですが

【烈しく欲求することは事実を産むもっとも確実な真原因である】

と言っています。

【求める事が、願いを現実に引き寄せることの原点である】

と ‘らいてう‘ は言っているのではないでしょうか。



叶うか叶わないか?良いか悪いか?は、ちょっと横に置いておいて、あなたの欲しいものに、ただただ素直になってみましょう



もしも、求めることに抵抗や痛みを感じたら、あなたの心を癒すこと、誰かやあなた自身を許すことが必要なのかもしれません